9月12日付け
CNN Interactive は

「CNNの通信員ジョン・ホリーマンが自動車事故で死亡」

という見出しの記事を報じています。



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CNNファミリーで最も愛されるメンバーのうちの1人

 ペルシャの湾岸戦争の時、イラクから爆撃を独占レポートした『バグダッドの少年達』の一人であるCNN国内通信記者ジョン・ホリーマンが、土曜日早く、彼の故郷のアトランタ郊外近くで自動車事故による怪我で死亡しました。49歳でした。

「ジョン・ホリーマンはCNN初期の局員のうちの一人でした」と、トム・ジョンソン、CNNニュース・グループの会長は語りました。「彼は、彼の家族や友人そして自分の仕事が熱烈に愛していました。ジョンの微笑やユーモアと、彼の人にも与える楽天的な性格は、彼に会った全ての人達を明るくしました。」「彼は、CNNファミリーで最も愛されるメンバーのうちの1人でした。」と、ジョンソンは語りました。

ホリーマンは、アトランタの東部のSnellville の彼の家の近くで運転している時、 彼は彼が追い越し禁止区域で、別の車を追い越そうとしたようです。正面からのピック・アップトラックと正面衝突しました。とGwinnett郡警察巡査部長のジェフ・ スリガーは語りました。

ホリーマンは、即死でした。飲酒や速度超過の徴候はなかった。とスリガーは語りました。ピックアップのドライバーであるリチャード・ヘンリー・ウェンサーは、扱われて、すぐ近くの病院で手当を受けて帰りました。同乗者のエリック・ウェンサー10歳は骨折しています。


 CNN初期のレポーター団のメンバー

 ホリーマンは、初代ネットワークチームの一員として、1980年にCNNに入り、ワシントン市局で雇われる最初の通信記者となりました。    彼は、湾岸戦争で連合国の空爆がイラクの首都で始まった1991年1月、バグダッドからレポートした3人のジャーナリストのうちの1人でした。彼と同僚のピーター・アーネットとバーナード・ショーは、ナショナル・ヘッドライン賞や George Foster Peabody 賞やゴールデン・マイクロフィン賞を獲得したCNNも重大局面の報道の重要な役割を演じました。

 「爆撃が始まるとすぐに停電になり、我々は中継は不可能だと思いました。しかし、ホリーマンは我々の機材の所へ行って、すぐにバッテリーのスイッチを切りました。それで我々は、地獄の猟犬が頭上に降ってくる様な数日間も通信ができたのです。彼がこの中継を可能にした一人だったのです。彼は、放送についての本当の知識を身につけていました。」と、ピーター・アーネットが言いました。  


課せられていたジョン・グレンが宇宙へ戻る時の司会

 ホリーマンは、死亡時はアトランタに基地を置く国内通信記者に従事していました。彼が受持つ仕事のうちの1つは、宇宙開発を報道することになっていました、そして、彼は1997年夏のマーズ・パスファインダー・ミッションのためのリード・リポーターでした。

 まもなくやるはずだった仕事の中には、ジョン・グレンが宇宙へ戻る時のウォルター・クロンカイトとの共同司会がありました。「私は彼が天国から、このミッションを見守り、多分こう叫んでいると思います、『おや、まあ、なんて眺めだ!』」 とジョンソンは、語りました。  

 1989年6月には、ホリーマンは中国の歴史的な学生デモと、それ以降の政府の弾圧や中国共産党の追放を報道しました。その秋には、彼はカロライナ2州を襲ったハリケーン・ユゴーのCNNの現場中継の役目を果たしました。彼の18年のCNNでの在任期間には、、ホリーマンは、農業やホワイトハウスについても報道取材を行い、デイタイム・ワシントンD.C.の司会も努めました。


APラジオからCNNへ

 ホリーマンはCNNに入る前は、1974年から1980年まで The Associated Press Radio Network で農業編集員として勤務しました。その職では、彼は農業経営者や消費者に興味のある、農業やあらゆる角度からの食料関連のニュースを取材しました。 

 彼はまた、APの全国紙情報の農場記事と同じように、AP通信情報の毎日のコラムもたくさん書きました。それに、彼はアメリカ・アトランタの農務省の大学院でコース課程を教えました。

 AP通信社のブラッド・カルブフェルド部次長兼編集主任は、ホリーマンはテレビに移った時は視聴者達に説明してリスナーと心をつなぐ能力を持っていた。と語っています。

  ホリーマンのジャーナリストとしての経歴には、メトロメディア・ラジオニュースやワシントン市の WASH-FM のニュースキャスターやリポーターとしての仕事もありました。ホリーマンはまた、アトランタの WSB-AM/FM、ジョージア州アテネのWGAU-Radio や WRFC-Radio 等のたくさんのラジオ局で働きました。

 ホリーマンは、1976年に、彼のドキュメンタリー「庭園構想(国際外交における武器としての食料)」で Peabody 賞を受賞しています。ジョージア州トーマストン生まれの彼は、ジョージア大学からジャーナリズム分野での学士号を授かりました。      
 

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詳細は下記のページで御確認ください。

http://www.cnn.com/US/9809/12/holliman.obit.02/




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