3月23日付け
CNN Interactive Space
downlimks with miles o'brien は

賞金が記録更新を推進します。

というコラムを掲載しています。

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 実際それは、そんなに旧式のものではありませでした。

 この航空機に積まれた最新の航法装置や通信装置そして緊急時用のテクノロジーなどは高い水準に達していました。

 しかし、私がこの成功の記事を読んだ時、もっと単純な時代のことを思い起こさずにはいられませんでした。  

 もちろん私は、バートランド・ピカールとブライアン・ジョーンズの熱気球での驚くべき地球周回飛行について述べています。

 ロジャー・バルーンと呼ばれるブライトリング・オービター3号は、夜明けにバスケットの中で飛行する男に由来して名付けられました。

 1783年 Pilatre De ロジャーとArquis D'Arlandesは、あらゆる種類の飛行で初めてとなる有人無係留飛行を行いました。

 それからおよそ120年後、航空界は最もロマンティックな時代へ入って行きました。

 1903年オービルとウィルバーのライト兄弟がキティーホーク号で砂丘の上を飛んだ瞬間から、裕福な人々やpublicity-savvy 社は、次に空で大きな事を達成した人に対して多額の賞金を提供しました。

 1906年に、Dumontアルベルト・サントス・デュモントは、80フィートの飛行を成功させて3,000ドルを獲得しました。

3年後、ルイスBleriotがイギリス海峡横断飛行を達成した最初の飛行士となって、ロンドンのデイリー・メールから提供された1,000ドルを獲得しました。

 1919年、キャプテン・ジョン・アルコックとアーサーWhitten ブラウン大尉が大西洋(アメリカとイングランド)のノンストップ横断飛行を行って賞金10,000ドル(これもまたデーリー・メールからですが)を手に入れました。

 それからもちろん、リトルニューヨークからパリのコンテストがありました。

 この二つの都市を結ぶ最初の飛行士なろうと熱く戦う他の9チームの競争相手の中にチャールズ・リンドバーグもいた事は多くの人は覚えていないでしょう。

 賞金25,000ドルが裕福なニューヨークのホテル経営者とplane-buffレイモンドOrteigによって提供されていたのです。

 友人から「スリム」と呼ばれていた無口で控えめなあの郵便パイロットが、彼のスプリット・オブ・セントルイス号を、賞金なしで不滅のものにできたでしょうか? いやそのチャンスはなかったでしょう。

 彼を悪く言うつもりはありません。彼はお金や名声の為にそれをやったのではないでしょう。

 しかし、彼の裕福なスポンサーであるセント・ルイスは、ぶらさがている賞金なしにはこのライアン単葉飛行機に$10000もの資金を出すことはしなかったでしょう。


 そして多分、それはブライトリング家にとっても言えることです。

 知っての通り、ブライトリング・バルーンがモーリタニアの上空で西経27分9度を越したとき、このチームはアメリカのbrewmeisterアンホイザー‐ブッシュからクールな100万ドルを獲得したのです。

 でも、初めて彼らがバドワイザー・カップを獲得した一方では、 ジュネーブのミッション・コントロールの光景には少しのバドライトもありませんでした。彼らはシャンペンで祝いました。

 この勝利で何が残ったのでしょうか?
 破られていない記録でしょうか? しかし対流圏のこちら側では私が思いつく記録はは多くありません。
それが、私が「X-賞」競技に魅了され理由なのです。

 個人財団(セントルイスもそうですが)が、3人の人間を乗せて14日以内に高度62マイルの軌道を2回飛行できるロケットを安全に離着陸させた個人チームに1000万ドルの現金賞を提供しているのです。

 12以上のチームが、現在そこへたどり着く手段に取り組んでいます。

 バートRutan(彼の兄ディックは、1986年に初のノンストップ、無給油、世界一週飛行を行った機長です)は、36,000フィートも飛行する合体プレーンを設計しました。

 そこで、パイロットはスティックを後ろへ引いて、付属のロケット(アフターバーナーみたいなもの、えっ?)に点火します。  

 1チームは、海上でそのロケットを打ち上げそして着陸(あのー着水?では)させようと思っています。

 別のチームは、再突入用のカプセルとパラシュートのついた簡単なolロケットを計画しています。

 別の航空機で曳航して垂直離陸させようと考えているチームもあります。

 どの計画が成功するでしょうか?誰にも解りません。

 しかし私は、この種の競技に取り組む最後のフロンティアは、相当な年輩ではないかと心に浮かびます。

 もし世界戦争や冷戦が起こらなかったら、航空術はおそらくもっと民間産業の中でその進歩を続けていたでしょう。

 真珠港事件からアポロ時代を通ってシャトルの時代まで政府は、航空術のトロフィーというよりもむしろ地政学的なトロフィーをより多く手にするために、書簡を 手にしてパイロットの座席から退きませんでした。

 多分我々は、世間を背景にした個人資金とハングリーな冒険家達と共に将来へ戻ったのでしょう。

 そして、それは「次に大きい事」に対する新しい種類の宇宙レースをうまく築くのかもしれません。      


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詳細は必ず下記のページで御確認ください。

http://www.cnn.com/TECH/space/9903/23/downlinks/index.html



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